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今日は、『稼ぐ会社にあってつぶれる会社にないもの』についてお話したいと思います。

そこで注目すべきが、トイレ掃除です!

例えば、朝日新聞が先月2週間にわたって「トイレ掃除をたどって」というシリーズを展開していましたが、
そこでは

「トイレ掃除をする(=手段)」→「生産性が上がる」「モチベーションが上がる」「一致団結できる」

という結果を期待した視点で、話を展開していました。

確かに元気な会社には共通点があります。
古い、新しい、洋式、和式に関係なく、トイレ掃除が行き届いているという点です。

トイレットペーパーの切れ端が落ちているなんてことは絶対になく、予備のトイレットペーパーが手の届く場所に整理して置かれていて、ゴミ箱からゴミがはみ出していることもなければ、洗面台に水が飛び散っていることもありません。
使う人が「心地よく使える」状態になっているのです。

例えばTV局なんかだと、きちんと取材をし、それが視聴者に向けたもので、視聴率もそれなりに取っている制作フロアのトイレは実に綺麗なのだそうです。

一方、大して取材もせず、コピペしたような情報で番組を作り、視聴者をなめきった内容で、視聴率も全く取れていない番組の制作フロアのトイレは、トイレットペーパーが散乱し、あっちこっちに水が飛び跳ね、ゴミ箱には弁当箱が積み上げられ、ひどい時にはADがゴロゴロと寝ているほど乱れきっているのだそうです。

こうして見ても一目瞭然ですよね。

トイレという空間は、人であれば誰もが使う場所です。
(人間は1日に5~7回、計10~20分間トイレを使用しているそうです。)
そのような、人間であれば誰もが使う場所にゴミが落ちていたら拾って捨てて、水が飛び散っていたらサッと拭くような“人”として向き合う瞬間を大切に出来る経営者や上司を見て、部下達は「自分もやらなきゃ」とマネをするのではないでしょうか。

三洋電機副社長になった後藤清一氏の著書『叱り叱られの記』には、次のような一節があります。

 「この新工場へ移った年の暮(1923年、松下氏29歳)のことである。
 全員が、恒例行事である年末大掃除を行なった。ひとわたり工場の掃除がすんだ。
 みんな、着物を着替えて帰り仕度にとりかかっていた。
 大将(注・松下幸之助のこと)が見回りに来られた。~(中略)~

 大将自らコテを持って来て、便器にへばりついた汚物を取りはじめたのである。
 (えらい悪いことをしてしもた)『大将、わしがやります!』。
 雑巾を手に、私は夢中で飛び出した。私に続く者が2~3人いただろうか。
 一斉に便所掃除をした。汚いとか、臭いなどという気持は全くなかった。
 自分が一番尊敬している、一番大事な大将に便所掃除をさせる――。
 そのことだけで、私は恥ずか しくてならなかった。」

松下幸之助氏がいかに“人”と向き合う瞬間を大切にしていたかは、会社が大きくなってからも、全国の販売店を歩き回り、現場の方たちの声に耳を 傾け、業績が悪かった時には「申し訳なかった」と頭を下げて回ったことからもよく分かります。

当たり前のことを、当たり前にする―
その当たり前を続けるのは、簡単そうで難しいです。
けれど、トイレ掃除のみならず、人として当たり前のことをやり続けることが
自己鍛錬に繋がっていくのではないかと感じました。

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